2004年9月1日   有珠善光寺2遺跡 現地説明会   もどる
午後3時前から熱心に見学者が訪れてきました。善光寺泥流と言われる岩のごつごつした光景が目に写りました。今年の夏は暑く、地形も岩だらけで発掘の苦労、難しさを感じました。
資料の記述に沿ってお知らせします。

有珠善光寺2遺跡 現地説明会資料  9月1日(水曜日)
                            伊達市教育委員会 文化財課
                                       学芸員 管野 青野

◆調査面積  約800u

◆検出遺構   ◎貝塚          3ヶ所 (近世アイヌ文化期〜近代)
 
                         5ヶ所 (擦文〜近世アイヌ文化期)
           ◎柱の穴など  約 250ヶ所 (縄文〜近代)
           ◎焚き火の跡       7基 (縄文〜近代)
           ◎竪穴式住居跡     1軒 (縄文時代)
           ◎墓             6基 (近世アイヌ文化期〜1663年以降)
                           3基 (1663年以前)

◆出土遺物   時期 縄文中期(約5000年前)〜近代(約100年前)
   ◇近世アイヌ文化期と近代の貝塚から山土した遺物
     ・焼酎徳利なとの陶器、皿や碗なとの磁器、キセル、鹿角製の銛頭(キテ)・中柄・骨
      鏃、火皿、砥石、模様の刻まれた石など
     ・獣骨  シカ、イヌ、海獣など
     ・魚骨  カレイ、カジカ、ヒラメ、ニシン、サケ、カツオなど
     ・貝類  ホタテ、アサリ、イガイ、オオノガイ、カキ、巻貝、ウニなど

   ◇擦文時代の貝塚から出土した遺物
     ・土器  擦文士器・演恵器
     ・骨角器  銛頭く鹿角製)
     ・鉄器  太刀
     ・獣骨  シカなど
     ・具類  ホタテ、アサリ、イガイ、オオノガイ、カキ、巻貝、ウニなど

   ◇その他の場所からの出土遺物
      縄文中期(約5000年前)〜擦文時代(約1000年前)
     ・土器 縄文土器 続縄文土器 
          擦文士器・土師器・須恵器(窯で焼かれた本州の土器)
     ・石器 黒曜石や頁岩製の石鍍、石槍、ナイフ  石斧など
     ・土製品 耳飾り
                              合計 約 1万点が出土しています


◆主な成果
 【過去の地形が判明(1663年の有珠山噴火に伴う有珠b火山灰の降下前と降下後)】
 有珠b火山灰降下前は、約8千年前に起きた有珠山の岩屑(がんせつ)なだれによる岩だらけの地形でしたが、有珠b火山灰の降下によって岩が埋められ、ほぼ現在に近い地形に変化したことが判明しました。

 【居住域の発見】           l
 昨年の調査では、竪穴式住居跡が発見されませんでしたが、今年の調査では1軒発見されました。周囲はほとんとが岩だらけであるため、岩の少ない地点を選んで住居を作ったと思われます。竪穴式住居は全体ではなく一部見つかっただけですが、直径 5mはある大きな家です。時期は、擦文時代と考えられ去す。
 1985・89年の境内の調査で、竪穴式住居が数軒発見されていることから、居住域は今回の調査区から善光寺の境内方面に広がっている可能性があります。また、昨年より土器や石器が多く出土しているのも、境内に広がっていると考えられる居住域に近づいたためかもしれません。

 【送り場としての貝塚】
 近世アイヌ文化期を中心に多くの貝塚が分布していたことがわかりました。動物・魚・貝やウニなどが含まれており、この地域が昔から豊かな食料資源に恵まれていたことがわかります。また近世アイヌ文化期の貝塚では、灰送りの儀式跡と考えられる灰だまりがみつかっています。何層か重なっており、繰り返し行なわれたことが想定されます。このように貝塚は、当時の人々の食性だけではなく、精神構造(考え方)を探るための多くの情報をわたしたちに与えてくれます。

 【多くの墓の発見一近世アイヌ墓(1663年の噴火に伴う有珠b火山灰より上層)】
 昨年の調査では発見されなかった墓が、今回数多く発見されました。墓の近くには、チセ(住居)があると考えられており、付近には多くのチセがあったことが想定されます。しかし、今回の調査では発見されませんでした。
 墓は、小高い山の周囲にのみ分布していることから、そこを特別な場所とする意識が当時の人々に存在した可能性も考えられます。

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